
土曜日にレイトショーで「県庁おもてなし課」をみた
私自身生まれた県に関わることが増え、気になっていた映画
高知県庁に実在する観光振興部おもてなし課をモデルにしている
映画としての面白さはもちろん何より勉強になった
「高知が好きなのは高知で生まれ育ったからなんです
おもてなしができないなら最初から人を呼ぶべきではないんです」
心に響いた台詞 私も地元に帰るたびに思うことなのですが
いくら地元地元といっても実際知らないことが沢山あって
こんな名所があってこんな美味しいものがあってこんなに魅力的で
というのを県外の人たちに果たして上手に伝えられるだろうか
地元が好きという人はたくさんいると思う
それは先の台詞にもあったようにそこが生まれ育った所だからだ
だからと言って知り尽くしているわけではないと思うし
実際私自身も未だに地元にそんなところがあったんだと驚くことが沢山ある
そしてもちろんもてなすにはまだ足りないこともたくさんある
私の地元福井も割と近いはずの大阪でさえも認知度が低く 大学のとき自己紹介で福井出身ですというと
福井。。。どこやろ?東北?みたいなかんじで何とも虚しく
何が有名?と聞かれるとカニと東尋坊と。。。後はなんもないですね笑 という
回答をするのがとても悲しかった 今地元に関わり今までとは違う視点や感覚で
色々なものを聞き見て知ることでこんなに魅力的な所が沢山あるというのを知った
灯台下暗しというか 生まれたときからずっとそこにいるからこそ見えないこともいっぱいあるのだと思う
実際私の地元は芦原温泉が有名なのですが 私自身は家がもともとそこにあるために
温泉につかったことは子供のころに数える程度 先日芦原温泉の旅館でゆっくり温泉に入れる機会があったのですが
芦原温泉の独特の香りや芯から温まる熱さ 湯の花という源泉の浮遊物が実に趣があり
こんなにいい温泉だったのかと驚いてしまった そしてまた来たいと感じた
映画でも描かれていたが まず現場を知ること 良いも悪いも現状が第一であるという事
きっとそれを知ればもっともっとすきになる うまく言えないけど
生まれ育った場所を愛おしく誇らしく感じると思う
そしてここにぜひ来てくださいと心から自信をもっていえると思う
私もそんなおもてなしの心を大事にして大好きな地元に関わっていきたい
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先日なんとも懐かしい動画を見つけた
2年前の夏、関西活版倶楽部が四天王寺の七夕祭りに参加していて
私はボランティアで活版倶楽部のお手伝いをさせて頂いたときのもの
夕方のメジャーニュース番組の生中継でテキンをガッシャンガッシャンする私が写っていた
23歳の何ともあどけない私がそこにいて
思えばこれが始まりであったことを思い出した
そのころの私には今の私が想像できていただろうか。。。
その映像を見て改めて原点(始まり)を大事にしなければいけないと思った
それがなければ今がないもの それが原点
四天王寺のイベントも参加していなければ間違いなく今はなかっただろう
でもいくら大事大事といってもいつかはそれを見失ってしまう
私にもいつかきっと見失うときが来ると思う
絶対に忘れないなんてことは言えない
だからこそどんなに大きくなろうと、離れようと原点をないものにしてはならない
簡単なようで難しいことかもしれないが
それは両親が私を生んでくれて自分が今こうして生きているのと同じこと
とてもきらきらしたもの
忘れることはあっても、必ずその度に思い出して
思い出すたびに大きな感謝の気持ちをそこに感じたい
「本当の敗者とは勝負に負けた者ではない
スタートラインに立たなかった者のことである」
そのスタートラインに立ち見た景色
不安やドキドキする気持ち
それこそが原点
人生で何度と感じることのない かけがえのないもの

最近感じること
いろんなものがまるで磁石のようにぴたぴたとくっついてくる
自分が今取り組んでいることに関連して色々なものが
いろんなところでつながるのがはっきりと音が聞こえるようにわかる
それは人と人の繋がりであったり
土地と人のつながりであったり
まるで神様が操っているかのように綺麗に繋がる
それは面白い偶然のようで、実は運命づけられた必然なのかもしれない
でも、私がそれと同時に感じるのは
アンテナをはっていなければ磁石は引っ付かないということ
何となしに過ごしているだけではその偶然は起こらないということ
私の周りでぴたぴたいろんなものを集めつなげる磁力のある人は
常にいろんなものにアンテナを張り巡らせている(そしてきっとそれは自然となされている)
そしてとても前向きで何事にも夢がある。イメージやヴィジョン、ストーリーがある
そんなひとの周りには自然と人が集まって自然とイメージは現実のものとなっていく
もちろんその磁石にひっつかないことだってある
S極どうしだったり磁力がなければおちてしまう
そして何よりも引っ付くには信頼や尊敬がなにより大事であると思う
最近教えて頂いた福井出身のシンガーソングライター
ヒナタカコさんの「夢のかなた」という歌の歌詞にこんな一節がある
「信じた先にしか 答えは見つからないよ
だからもう迷わなくていい その舵をきる時
誰もまだ見たことない 喜びを探しに行こうよ
まぶしい夢の向こう側で 間違いなく掴める」
私は今ひとりの人に大きな信頼と尊敬を持ちついて自分の道を歩んでいる
その人と歩んだ道の先にまぎれもない輝きがあると信じている
いつか歩んだ足跡を喜び笑い振り返っているイメージがある
そのころには私も強い磁石になっていたいなあ
これもまたイメージ
新しい私と新しい一日、今日もよろしくお願いします✩


本日は休日を利用して見たかった展示を見てきた
京都市美術館で19日までの ゴッホ展
美術館「えき」KYOTOで20日までの 木梨憲武美術館2
の二本立て
ゴッホはほんとに人が多かった
今回日本初披露の作品が多かったようです
ひまわりや夜景の有名な絵はありませんでしたが
ゴッホの人生をたどりながら ゴッホの描き方の真実をたどるストーリー
一見激しく描かれた絵画の数々から感情的で天才な画家のイメージがあるかもしれませんが
実はゴッホはものすごく綿密な計算で論理的に描いているという真実
描き方の形式を考えては実験しさまざまに描き方を変化させました
そしてその描き方は形式にとらわれない形式となり
ゴッホだけの描き方になっていきました
当時も数多くの画家がいたとは思いますが
形にとらわれない自分なりの形を見つけたからこそ
ゴッホの名が今に残っているのではないかと感じました
「形式にとらわれない形式」
上手下手ではなく自分なりのスタイルを求めること
これは私も大事にしていることです
そして木梨憲武展!
私は前回(2008)の京都での展示を見て以来大ファンで
ポスターを発見した時の興奮といったら 笑
木梨さんの描く絵の好きなところはなんといっても自由なところ
一切形にとらわれないその自由な描き方が何より私を虜にしました
今回の展示の冒頭でも横尾忠則が「そしてなにより自由だ」と述べています
えっ?と思うような描き方や素材の使い方
そこには形にとらわれないというゴッホとの共通点が感じられました
芸術家やアーティストとはその言葉からは堅苦しかったり
気難しいイメージがあるかもしれません 実際気難しい人もいるでしょう
だけど改めて楽しく自由にあるがままに思い思いに書くことが大切なのだと
二つの展示をみて思いました 私が大切にしたいと思うこと
私も自分の色で迷うことはもちろんありますが
それは周りの意見や批判を気にし過ぎているからで
自分の色のままであればいいのだといつも教えられるのです
明日からまた変わらず私は私色で毎日を楽しもうと思います^^
今日も一日をありがとう✿